2017年12月20日水曜日

教育の基本1 母親の願い あれから40年

  母親の願いはどうなった

 進路相談会での母親の発言がずっと私の記憶に残っている。

「子どもが健康で、人様に迷惑をかけないように、少しだけ勉強ができて、友だちと仲良くやっていければそれ以上のことは望みません。」

実直な母親のすなおな考えだけによく私に伝わってきた。

健康で人に迷惑をかけず。仲間と仲良く生活でき、少しだけ勉強ができる。納得。これこそ義務教育を受ける側からの「教育の基本」ではなかろうか。

1976年(昭和51年)時代の一般市民の教育に対する願いであった。
このごく普通の一般市民の「教育の基本」を踏みにじっていくことになる。

あれから40年健康を害する子ども、他人に迷惑をかける子ども、仲間の誰かをいじめる子ども、勉強から逃避していくこども。40年の間に親の考えも教員の考えも社会の環境も大きく変わってしまった。

教育を受ける側の「教育の基本」を壊していったものは何であったのか。

難しいことは分からない。教育を受ける側からの願いに素直に耳を傾けて、親の教育に対する願い。これを教育を受ける側の「教育の基本」と定義して整理してみたいと思う。

過去において、日教組(日本教職員組合)の幹部や文部省(現文科省)の幹部、そして教育にかかわった政治家の今だから言える発言を多く期待している。 あまり期待はできないが。

過去に教育を受けた人、現に教育を受けている学生やその親たちの生の声を多く聞きたい。それも教育を受ける側からの「教育の基本」の参考資料としたい。

教育を実施する為政者からの「教育の基本」と照らし合わせて、その相違点を見ることによって戦後教育の問題点が浮き彫りにされてくると考える。

国民が素直に考える「教育の基本」の姿をまとめたい。

敗戦の年、私は小学校3年生であった。

戦前の教育も戦中の教育についても全く分からない。だから、敗戦1945年(昭和20年)を境にして教育が大きく変わったと言われても理解することがとても難しい。
辛うじて両親や地域の高齢者、そして教職についてからの先輩たちの言動によって間接的に理解するのが関の山である。

地方の教員養成学部を卒業して、地方の教員として教育にかかわった体験から今(戦後)の教育の事実を記録し、多くの戦前を体験した人たちの語りに耳を傾けて、敗戦を境にして教育の基本の何が変わったのかを学習していきたい。

学習の目的は別にない。ただ調べてみたいので自由に調べ自由にまとめる。まあ、できることならこれからの教育についての提言の一つもできれば幸いである。

私の教育についてのスタート点は、「日本国憲法」と「教育基本法」である。つねにこの2点を原点として、学習を深めていくことにする。



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