2017年12月20日水曜日

教育の基本2 遊べない先生と遊ばない先生

  何故遊べない、何故遊ばない

若い教員の中には子どもと遊ぶことのできない人が増えてきた。

我々の時代(戦後を小学生で過ごした)の特に男たちは遊びが生活のすべてであった。「サザエさん」のカツオのバックグランドがこの時代を彷彿とさせる。

五寸釘一本あれば一日中「釘刺し」をして遊んだものだ。
昭和20年から30年代にかけては子どもの遊びは数え切れないほどあった。

「釘刺し」は34人での遊びで、人数が多くなっていくと草野球、Sケン、宝とりと変化した。
雨が降れば、かるた、トランプ、将棋、囲碁と夢中になった。
将棋といっても小学生がやるのは、山崩しや歩ならべ、ハサミ将棋で、囲碁は五目並べであった。

どの遊びをとっても自然発生的に遊び方を決めてその時の人数や年齢にあった遊びを作り出した。

要するに子どもの生活は遊びであった。

今考えるとその遊びの中に人との付き合い方や協力の精神や正義感、そして創造力や想像力が身につくことが詰まっていたような気がする。

いつのころからか新任教員の中に遊べない人が増えてきた。

とても素直で十分に頑張っているのであるが、子どもとのコミュニケーションが取れなく自信喪失的な生活態度に追い込まれていく。


何故だ。遊べない、遊ばない。生活環境があったからだ。

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